ショッピング、ダイニング、エンターテイメントを備えたハワイ最大のショッピングセンター、アラモアナセンターは、2019年8月13日に創立60周年を迎えます。これを記念して、7月と8月に開催される60日間のセレブレーションを含め、様々な記念行事や特別プロモーションを行うことを予定しております。
アラモアナセンターの60周年を迎えるにあたり、全てのお客様の声援とご支援に心から感謝を申し上げます。
アラモアナセンター60周年を記念して写真を撮りましょう!テキストまたはEメールにてデジタル画像を無料で進呈いたします。#Happy60AlaMoanaのハッシュタグをつけてSNSでシェアしましょう。
アラモアナセンターの60周年記念本は、世界的最大のオープンエアショッピングセンターの歴史と発展についてまとめた一冊です。オープン当初から過去60年間に渡る、様々な変革の舞台裏を知ることができます。ストリートレベル1F、センターステージ裏のゲストサービスにて販売しています。
アラモアナセンターのオープンからこれまでを振り返ります。60年の間、お客様のパラダイスであり続けながらも変遷を遂げた様子をご覧ください。
1950年代に着工し、1959年に最初のお客様を迎えるアラモアナセンターの様子をご覧ください。 (クレジット:Hawaiian Dredging Construction Co.)
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1955年、空から眺めたアラモアナセンターです。1912年、ウォルター F. ディリングハムは、ビショップ財団よりかつて沼沢地だった土地をわずか$25,000で購入。1948年にウォルターの息子ローウェルが、その地でアラモアナセンターの開発プロジェクトに着手しました。
アラモアナセンターの建設工事は1958年に始まりました。以前、同所は利用価値のない沼沢地であるとみなされていましたが、ディリングハム経営のハワイアン浚渫(しゅんせつ)工事会社は、数々の浚渫(しゅんせつ)工事により掘り上げたサンゴや砂で同所を埋めていき、それにより開発が可能になりました。
アラモアナセンターの第1期工事完成後の航空写真です。1959年のオープン当初はわずか2層構造でした。
アラモアナセンターの成功に大きな役割を果たしたのがシアーズです。1940年代、シアーズはベレタニア通り沿いに位置していました。1958年、当時アメリカで一番大きな小売店として知られていたシアーズがアラモアナセンターへの入居を決め、建設工事が始まりました。シアーズは2013年に閉店するまで、アラモアナセンターのアンカーテナントとの一つとして、54年間も営業を続けました。
1959年8月12日のホノルル・スターブリテン紙に掲載されたシアーズの広告は、翌朝アラモアナセンターにオープンすることを大々的に伝えています。
シアーズの背後に見えるアラモアナビルディングは、1961年に完成しました。最上階に人気レストラン「ラ・ロンド」を擁する25階建てのオフィスビルは、アロハタワーに代わりハワイで一番高い建物となりました。ラ・ロンドは米国初の回転レストランでもありました。
1959年の地図には、2層の建物内に80以上の店舗が入居しているのが見て取れます。オープン後、商業の中心地はホノルル市のダウンタウンから、4,000台分もの無料駐車場を備えたアラモアナセンターへと移りました。
アラモアナセンターのオリジナルロゴは、古代ハワイアンの戦士が身にまとった羽のマントにちなんでデザインされたものです。これはアメリカ合衆国で一番新しい州であるハワイの発展、そして素早く移りゆく時代の中心となるアラモアナを体現したものでした。
80以上の店舗と4,000台分の駐車場を備えた、米国で一番大きく、皆に待ち望まれたショッピングセンターのオープニング・セレモニーに、何千人もの人々が早くから駆けつけました。
アラモアナセンターで、現在も営業を続けているオリジナルのテナントの一つがワタムルズです。1958年、シアーズがアラモアナセンターへの入居を決めた後、ワタムルズもアラモアナセンターの一部となりました。元々はモールレベル2Fに位置していたワタムルズですが、現在はストリートレベル1Fにて営業中です。
ロングス・ドラッグスも、アラモアナセンターのオリジナル・テナントの一つです。創業以来同じ場所で営業を続け、地元の人々、旅行者共に人気を博しています。
郵便局のアラモアナセンター支局は、ストリートレベル 1F、エヴァウィングに位置しており、長年にわたりコミュニティーに奉仕し同センターの中心的な役割を担っています。
テリトリアル・セービングス&ローンズは、全てが揃う便利なロケーションで、お買い物中のお客様に銀行業務を提供し続けてきました。テリトリアル・セービングズ・バンクと名前を変えた現在でも、創業当時と同じロケーション、ストリートレベル 1F、エヴァウィングにて営業中です。
オリジナル・テナントの一つ、靴専門店のトム・マッキャンは、何十年にもわたりハワイの人々に愛されていたお店です。
サイドウォークセールにはいつも、たくさんの人々が集まりました。最初の年、平日には約3万人、週末には約4万人が訪れ、売り上げは4千万ドルに達しました。
アイスクリームとキャンディのお店エド&ドンズは、1959年、モールレベル 2F、現在はグッチの店舗がある付近にオープンしました。後にストリートレベル 1Fのセンターステージ近くに移転。何年にもわたりハワイ産の味を人々に提供してきました。
アラモアナセンターのアイコン、ビッグサンタを背後に、美しい景色を作り出すためにスタッフが植樹作業に励んでいます。100本以上のヤシの木、40本以上のモンキーポッドに加え、何百もの熱帯植物がセンター中に配され、エキゾティックでユニークなハワイの経験を皆様にお届けします。
1960年代の駐車場には、白木屋から寄贈された鯉のぼりが泳いでいます。無料駐車場は、アラモアナセンターの成功の鍵の一つと言っても過言ではありません。現代化するにつれ、より多くの人々が車を所有するようになり、ホノルル市のダウンタウンでの買い物時には、駐車が困難なものになってきました。その代わりに、お店の近くに駐車が容易なアラモアナせセンターに、より多くの人々が集まるようになったのです。
ショッピング中にお楽しみいただけるアート・インスタレーションは、現在でもアラモアナセンターで重要な役割を担っています。第1期の建物には、ダイヤモンドヘッド側に「神の泉」と名付けられたオブジェがありました。柱のそれぞれの面には抽象的なモザイクで、ハワイアンの四代神がそれぞれ描かれていました。また泉は、訪れた人々の憩いの場としての役割も担っていました。
アラモアナセンターではいつも、多くのお客様に楽しい経験を提供してきました。様々なアトラクションが建設された中、白木屋とリバティハウス(現メイシーズ)近くに配された大型鳥舎では、熱帯の鳥が人々を歓迎してきました。残念ながら、維持費の高騰に伴い、後に鳥舎は廃止となりました。
ケイキ(子どもの)フラを含むフラショーは、今でもアラモアナセンターの定期エンターテイメントとして人気を博しています。センターのコートヤードでは、それぞれのフロアからエンターテイメントを眺めることができ、ヤシの木に囲まれたオープンエアのデザインは、エキゾチックでユニークな、ハワイならではのものでした。
ストリートレベル 1Fの砂場では、親子連れで楽しむ姿が見られました。モダンな作品で知られるアメリカ人の彫刻家エドワード・ブラウニーによるブロンズおよびスチール製のオブジェには、子どもたちが登ったり探検して遊ぶこともできました。
1966年、第2期工事が完成した時のグランドオープニング・セレモニー。アラモアナセンターは70万平方フィート/約80店舗/4,000台の駐車場から、130万平方フィート/150を超える店舗/7,800台分の駐車場と約2倍の大きさに拡張されました。
ダイヤモンドヘッド側のリバティーハウス(現メイシーズ)の隣にあったトラベレーター(移動式歩道)は、当時ショッピングを楽しむ人々を各階へと運んでいました。右側にある「ワイオラ」(ハワイ語で「生きている水」という意味)の像は、1966年の2期工事時に完成。現在でも1階のレストラン「アサジオ」の近くで見ることができます。
日本を本拠地とするデパート白木屋もオリジナル・テナントの一つで、元々はアラモアナセンター内のエヴァ(西)側に位置していました。1966年、ダイヤモンドヘッド(東)側のリバティーハウス(現メイシーズ)の向かいに移転。2016年には、シロキヤ・ジャパン・ビレッジウォークとして、ストリートレベル 1F、エヴァウィングに再オープン。日本の伝統的な町並みを彷彿とさせる店内は、訪れた人々にユニークな体験を提供しています。
J.C.ペニーとリバティーハウスは、新しいアンカー・デパートとして、1966年、第2期工事の完了とともにオープンしました。
1980年代、日本からの旅行者が増大したことに伴い、アラモアナセンターの多くの店舗で売り上げが大きく増大しました。